≪2015年の京都の紅葉≫
残念なことに2015年は近年稀にみる京都の紅葉の不作の年と言わざるをえません。
色づかないまま落葉したり、色づいても重たい感じの色で鮮やかでなかったりする状態です。
散った葉も枯れて傷んだ状態です。
大原はじめ特に洛北はかなり厳しい状態です。
美しい姿を見られないまま既に終了しているところがほとんどです。
原因はいろいろ言われています。
夏に日照時間が足らなかったためや、10月に雨が少なかったためなど。
個人的には11月の高温が原因のように思います。
日中の気温が20℃を超えたり、夜の最低気温も13℃位あったりなどです。この時期では異常です。
ただ、自然のことなので何が原因なのかははっきりとは分かりません。複合的な原因かもしれません。
いずれにしても厳しい状態です。
ただ、例年11月20日頃までに見ごろをむかえる前半の紅葉は壊滅状態ですが、
後半の紅葉はまだ望みがあります。
例年11月25日頃以降に見ごろをむかえる場所では、
まだまだ色づき始めの木や全く色づいていない木もあります。
明日(20日)からは少し気温も下がるようです。
残っている場所、もみじに望みを持ちたいです。
今年最初の紅葉は、京都市左京区一乗寺門口町にある詩仙堂の紅葉です。
2015年11月19日訪問、撮影です。
今年は11月12日頃から既に何ヵ所も回りましたが、状態が良くなかったため、
撮影、アップをしておりませんでした。
詩仙堂も例年ほどの美しさはありません。
ただ、そうではあっても、厳しい状況の中でもこんなに頑張ってくれています。
例年ほどの綺麗さはありませんが、決して綺麗でないわけではありません。
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『詩仙堂(しせんどう)』の説明
山号は六六山。
正しくは、詩仙堂丈山寺(じょうざんじ)という。
本尊は馬郎婦観音(めろうふかんのん)。
曹洞宗の寺院となったのは昭和四十一年(1966年)。
もとは徳川家康の側近であった石川丈山(いしかわじょうざん)が寛永十八年(1641年)に
隠居所として建てた草庵であった。
石川丈山は三十六人の中国の詩人を選び、その肖像を狩野探幽・尚信に描かせ、
自らも各詩人の詩を墨書した額を凹凸窠(おうとつか)の詩仙堂(詩仙の間)に掲げた。
これが寺名の由来となる。
現在詩仙堂と呼ばれているのは正しくは凹凸窠であり、詩仙堂はその一室である。
凹凸窠は、詩仙の間・至楽巣(しらくそう)(猟芸巣(りょうげいいそう))・
躍淵軒(やくえんけん)・嘯月楼(しょうげつろう)からなる。
なお、凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住居という意である。
庭園は丈山好みの唐様(からよう)庭園とし、
堂の東南に滝(洗蒙瀑(せんもうばく))を構える。
また、添水(そうず)「山田の僧都」は獅子おどしともいわれ、
丈山が猪などをおどすために考案したと伝えられる。
(「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」および
「詩仙堂 丈山寺しおり」より参照)
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