京都市右京区北嵯峨北ノ段町にある直指庵(じきしあん)の紅葉です。
2015年11月26日訪問、撮影です。
もう少し後の日に行く予定でしたが、良い雨が降った為、
しっとりした紅葉、苔、散りもみじを期待して本日拝観・紅葉狩りに出かけました。
例年はもっと真っ赤になるようですが、今年も十分に魅せてくれます。
散りもみじも素晴らしいです。
人も少なくゆっくり、静かに拝観・紅葉狩りを楽しめます。
以前よりもだいぶ人は増えたそうですが、まだまだ京都嵯峨の紅葉の穴場です。
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『直指庵(じきしあん)』の説明
山号は祥鳳山。
本尊は阿弥陀如来。
正保三年(1646年)に臨済宗を学んだ独照性円(どくしょうしょうえん)(隠元隆琦の法嗣)が
営んだ草庵の没蹤庵(もつしょうあん)に由来する。
独照は、枯松の枝が地に落ちるのを見て大悟し、
禅の「直指人心(じきしにんしん)」の教えに従って寺名を付けずに直指庵としたと伝えられる。
独照が明の高僧隠元に黄檗禅を学び、隠元を直指庵に請じてからは、
伽藍を建立するなどし、直指庵は大寺院になった。
天明六年(1786年)の拾遺都名所図会には、大伽藍を連ねた壮大な直指庵の全景が載せてある。
独照の弟子である月潭はこの直指庵の二世となり詩文をよくして高僧の名を高めたが、
その後は法嗣が衰え、独照の墓堂を存するだけとなった。
幕末の頃、近衛家の老女であった村岡局(津崎矩子)が荒廃していたのを再興し、浄土宗の寺とした。
その墓が境内の竹林にある。
本堂(庵)は、津崎村岡局の姪である寿仙尼が明治十二年(1879年)の上京中に焼かれ、
現在の本堂は明治三十二年(1899年)に成節尼によって再建されたものである。
堂内には本尊である「阿弥陀如来」、学力向上を願う知恵の「文殊菩薩」、
あらゆる願いをかける「願かけ地蔵」が祀られている。
本堂には、思いの丈を綴る「想い出草」ノートがある。
そこには「そっとその意地を私の心(ノート)にすててください。
苦しむあなたをみているのがつらいです。」と書かれている。
この言葉に導かれるように、庵を訪れた老若男女が私生活の悩みやこの地を訪れた感動などの
様々な思いを綴ることから、現在保存されているノートは5000冊以上にものぼる。
境内には「想い出草観音像」が祀られており、庵内の想い出草ノートに思いを綴った苦しみや悲しみ等の
一切の苦を救ってくださると同時に、その後の成長をも守ってくださるとされる。
やさしい顔立ちや他の寺院には見られない石造りの像が特徴である。
開山堂は、宝形造りの建物であり、直指庵を開いた独照性円の墓を示す大円塔を祀っている。
この堂の前には独照自らが「出でて吾が塔を護る」と序した亀石がある。
水子地蔵尊は、母胎から陽の目もみず闇路にただよう「水子」を救ってくださるとともに、
子供の健康と成長を守ってくださるとされる。
近年はこの水子地蔵尊をおまいりする夫婦が子供を授かることから「子授け地蔵」ともよばれている。
(「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」および
「京・北嵯峨細谷 直指庵しおり」より参照)
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≪後日、更新・アップいたします。≫
(※これからたくさん写真を撮りに行く予定なので、更新が滞る可能性が高いです。
ご了承下さいませ。)