京都市東山区東大路通七条下る東瓦町にある智積院(ちしゃくいん)の紅葉です。
2015年11月29日訪問、撮影です。
智積院は以前は紅葉シーズンでもほとんど人がおらず、京都の紅葉の穴場、隠れた紅葉名所でした。
しかし、以前よりもだいぶ人が増え、いつまで穴場と言えるか分かりません。
以前は外国人の方もほとんど見かけませんでしたが、今ではだいぶ見かけるようにもなりました。
駅からも近く、たくさんのもみじの木があります。
また、名勝庭園を除いては無料で拝観もできます。
今まで人がいなかったのが不思議なくらいです。
来年以降はおそらくもっと人が増えるでしょう。
もし「そうだ 京都、行こう。」などで取り上げられると一気に火がつくと思います。
今年の紅葉不作、悪環境の影響を少なからず受けていますが、
美しい紅葉を楽しめます。
できれば来年以降も穴場であって欲しいですが、おそらくもう難しいでしょう。
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『智積院(ちしゃくいん)』の説明
真言宗智山派(ちさんは)の総本山。
山号は五百佛山(いおぶさん)。
本尊は大日如来。
慶長五年(1600年)に徳川家康が紀州根来寺の智積院玄宥(げんゆう)に土地を与え、
根来寺の正式名にちなんで五百佛山根来寺智積院という坊舎講堂を建立したことに始まる。
その地は豊国社の坊舎の一部と、豊臣秀吉が長男の棄丸(すてまる)(鶴松)を
供養するために建てた祥雲禅寺であった。
同八年には幕府から智積院法度が下され、豊臣氏没後の元和元年(1615年)には
祥雲禅寺の建物・障壁画・豊国社の同舎・梵鐘を受け継いだ。
のちに末寺の学生僧の教学専門学寮として繁栄した。
現在の金堂は昭和五十年六月十五日に宗祖弘法大師生誕1200年記念事業として
本尊の大日如来像とともに造顕された。
書院前の庭園は国の名勝に指定されており、延宝二年(1674年)、
祥雲禅寺時代の庭を修築したもので、中国の廬山をかたどったと伝えられる。
石橋より奥の方は、自然石のみを用いて刈込を主体とし、
深山の中にいるような奥行きのある野生的な雄大さを感じさせる。
滝の落ちている正面は、江戸時代に修築されたもので、
石組と植込とが交互に並び、洗練された美しさが築庭の極限を表現している。
庭を全体的に見ると、小さなもの特有のきめの細かい所を見せながらも、
他に類の無い雄大さと重厚味感じさせる。
国宝の「桜楓図」は、長谷川等伯筆の楓図と、長男の久蔵が描いたとされる桜図で、
祥雲禅寺客殿に描かれていた障壁画である。
智積院に引き継がれ、往時の荘厳を見ることができる。
長谷川等伯は、桃山時代に全盛期であった狩野派に対抗し、独自の画風を確立したとされる。
智積院に現存する絵は、楓図、桜図、松に秋草図、松に黄蜀葵図(とろろあおいず)、
雪松図、松に立葵図等である。
このうち特に桜図と楓図は、日本の障壁画を代表するものとして世に知られている。
桜図は長谷川久蔵(きゅうぞう)二十五才の作で、日本の桜を中心に、
八重の花を蒔き散らし、画面の大胆な構図のもと、春爛漫の景を描き出している。
作者久蔵が二十六才の若さで急逝した翌年、父等伯が哀惜の情を振りきり、
自己の生命力を画面一杯に傾けて楓図を描き出した。
画面中央に描き出された幹や枝の激しい動き、紅葉や秋草の写実性、
空や池の抽象的な表現、それら全てが和合し生き生きと絢爛豪華に描かれている。
(「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」および
「真言宗智山派 総本山智積院 KYOTO CHISHAKUIN TEMPLEしおり」より参照)
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≪後日、更新・アップいたします。≫
(※だいぶ写真がたまってしまっているので、更新が滞る可能性が高いです。
ご了承下さいませ。)