京都市東山区高台寺下河原町にある高台寺塔頭の圓徳院の紅葉です。
2015年12月2日訪問、撮影です。
圓徳院には南庭と北庭があります。
拝観受付をすると最初に通るのが南庭です。
その後くねくねした廊下を進み北庭にたどり着きます。
最初の南庭は白砂のいわば優しい感じのお庭です。
後の北庭は岩の配置された力強い感じのお庭です。
それぞれ秋には紅葉が楽しめます。
今年は11月の気温が異常に高いなど紅葉にとっての悪環境の為、
京都の紅葉は大きく影響を受けてしまいました。
ここ圓徳院も影響を受けてしまったようですが、
比較的ダメージは少ないようです。
見ごろも例年より大きく遅くなりましたが、やっと綺麗な紅葉が見られるようになりました。
11月初めの当初の予定としては、本日で今年の紅葉の見納めとする予定でした。
しかし、京都のたくさんの場所で紅葉の見ごろがかなり遅れています。
いまだに緑の葉のもみじの木もたくさんあります。
今年はもう少し紅葉を楽しみたいと思います。
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『圓徳院(えんとくいん)』の説明
高台寺の塔頭寺院。
寛永九年(1632年)に北政所ねねの甥である木下利房(きのしたとしふさ)が
邸宅を寺院に改めて創建。
豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、
高台寺建立を発願し、慶長十年(1605年)、秀吉との思い出深い伏見城の
化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。
ねね五十八歳のことであるが、これが今日の圓徳院の起こりである。
ねねは七十七歳で没するまでの十九年間をこの地で余生を送り、
この地は北政所の終焉の地となった。
北庭は桃山時代の気風が伝わる枯山水であり、
「旧円徳院庭園」として国の名勝に指定されている。
もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したものであり、
当時の原型をほぼそのままにとどめる。
賢庭作で後に小堀遠州が手を加えたとされる。
池泉回遊式であるが、枯山水となっている。
多数の巨岩大岩がふんだんに置かれており、
桃山時代の豪華さや豪胆さを伝えている。
また、宝塔の笠を利用した珍しい形の「檜垣(ひがき)の手水鉢」がある。
(「増補版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」および
「秀吉の妻、北政所ねね終焉の地 京・東山 圓徳院しおり」より参照)
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見事な紅葉です。
今年の京都の紅葉は後半になってだいぶ盛り返して来ました。
のんびりしていると暗くなってライトアップも始まりました。
少しだけ得した気分になりました。昼夜入れ替えはないようです。
(※後日、日時設定は撮影時に戻します。2015年12月2日 16:00)